モネが人物画を後世書かなかった理由

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クロード・モネ

モネ

モネといえば、《睡蓮》や《日本の橋》などの風景画が有名で、人物画はあまり描かれていません。
そして、数少ない人物画のモデルはほとんどは妻のカミーユでした。
モネは、カミーユが32歳の若さでこの世を去った1879年以降、人物画を描くことはありませんでした。
モネが人物画を後世描かなかったのは、モネの最初の妻であるカミーユへの愛なのです。

 

カミーユがモデルとなった作品

1866年の《緑衣の女性》や、1876年第2回印象派展に出品した、浮世絵の影響が顕著な、
扇子を持って着物を着て踊る女性を描いた《ラ・ジャポネーゼ》などがありますが、
最も有名な作品といえば1875年に1枚、1886年に2枚描かれた《日傘をさす女》です。

最初に描かれたものは、穏やかな光の中でこちらを見つめる妻カミーユと、息子のジャンを描いています。
《日傘をさす女》は全部で3枚ありますが、残りの2枚はカミーユが亡くなった後に、
最初に描いた《日傘をさす女》と同じ構図で、同じ服を着た女性の絵を描きました。
その2枚は顔がはっきり描かれておらず、誰がモデルなのかわからない絵になっています。
カミーユを亡くし、悲しみにくれたモネは、記憶の中にいるカミーユを再び描いたのです。
モネの妻への愛情は、「目に見える光」追い求めたモネに、追憶の中の風景を描かせました。

 

最初で最後のモデル

モネは死の直前のカミーユのみるみる変わり果てていく姿を見て、その色彩の変化に驚き、
その姿を絵画として残しています。

カミーユは、病床に伏せた自分の姿を描き続けた夫を見てどんな気分だったのでしょうか・・・。
モネはカミーユの生きた証を残そうとしたのでしょうか。
それとも、画家としての衝動だったのでしょうか。

モネの真意は分かりませんが、カミーユの死後、ほとんど人物画を描かなくなったのも事実で、
カミーユがモネにとって最初で最後のモデルだったことは間違いありません。

1枚目の《日傘をさす女》はアメリカのワシントンナショナルギャラリー、2枚目と3枚目はフランスのオルセー美術館にそれぞれ寄贈されています。
なかなか実物を観るのは難しいですが、クレアネットの絵画ドットコムでは肉筆の複製画を販売しておりますので、チェックしてみてください。

モネ
▲原寸大サイズ:100.0×81.0cm ナショナルギャラリー

→モネの《日傘をさす女》コチラ

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