ひまわりにはゴッホの個性が結晶化
絵画で有名なゴッホですが、代表的なひまわりは、油彩画として6枚現存しています。ひまわりにはゴッホの個性が結晶化されていて、自己表現をする男の魂を感じられる魅力があります。代表作のひまわりですが、花瓶に生けられたひまわりですが描くシンプルさは率直に自身を託して自己表現している感じが伝わる作品で、それがひしひしと伝わってくる作品です。ゴッホは、技術はもちろんですが、内に秘めた熱い情熱がキャンバスに込められている事に魅力を感じる事が出来ます。加えて日本にも刺激を受けた事からゴッホの絵画に浮世絵や日本画が取り入れられている共感も感じられるポイントです。筆遣いや使用した色やタッチ、全てが力強く躍動感がある事が、光を忠実に再現して素晴らしい魅力があります。代表作のひまわりや糸杉は、ゴッホの死後に価値を見直されたもので、狂気の天才というイメージがあると思います。情熱的で短気な性格だけでなく、絵画の創作活動を始めても美術学校で勉強をしたり、指導を受ける事から真面目な性格の持ち主という事も現代でファンが多い理由に繋がっていると言えます。ゴッホの作品は、多くありますが芸術に対する理想を秘めた情熱的な一面と現実社会に対する諦めや悲しさが滲み出ている作品と言えます。ゴッホの作品は訴えかけてくる本物で多くの感情を感じる事が出来るので、インテリアとして人気がありおすすめです。ゴッホの絵は現代の社会において必要性が高いと言えます。
収穫
今回の記事内容は、1888年の6月にゴッホが自ら描いた油絵である『収穫』の作品に関しての内容になります。
元々ゴッホ(1853年~1890年)本人は、オランダ北部にあるズンデルト村出身のプロテスタント系のキリスト教宗派の牧師である中産階級の家の出身である方でしたが、画家を成人後志し、しばらくの間はフランスの首都パリ市内に居た弟さんであるテオの元に居ましたが、じっくり油絵をベースにした絵画力を身に着けたいといった願望もあって、ゴーギャン(1848年~1903年)と共に、フランス国内南部にあるアルル市へ移り、その際に描いた一作品がこの『収穫』でもありました。
のどかな当時のフランス南部にあるアルル市郊外にある農村部での収穫の様子を描いたものになりますが、こうした、夕方時や朝方などの、夕日・朝日などが良く照る黄色の描写が多い光景を描いたりする作品が、ゴッホの作品には多い傾向があります。
そうした光景画以外にも、あの有名な日本の花魁画や『黄色い家』の作品とかにも見られたりするように、本当に彼の油絵には黄色の配色をベースにしたものが少なくない事が目立ちます。
しかし、やはり後期印象派に属すると言われてもいるように、癒しの面でも大変ゴッホの作品は大変高い評価を世論からされたりしているところもありますので、これ自体もやはり、彼自身の死後においての作品の多くが評価をされるといった要因の1つでもありました。
本当に大変個性的な油絵の技術ベースとして描かれている収穫の絵画でもありますので、それ自体の評価も大変高いところがあります。
ゴッホの「ひまわり」に見られる優しさとは
ゴッホの有名な「ひまわり」は複数存在する事をご存知でしょうか。ゴッホは生涯で11点のひまわりの作品を描いています。その11点の中で「花瓶に挿されたひまわりをモチーフとした油彩の絵画」は7点あります。これが有名なゴッホの「ひまわり」です。
ゴッホにとってひまわりは明るい南フランスの象徴だったと言われています。南フランスのアルルに滞在していた時によく描いていたことも由縁ですが、ゴッホの中でひまわりはユートピアの象徴であったと考えられています。
1番目に描いた「ひまわり」は緑の花瓶に挿さっていて、数は3本、背景は青く爽やかな印象を与えます。
2番目に描いた「ひまわり」の数は5本、背景は濃紺、色彩の対比を使って視覚効果を狙ったのではないかと推察されています。
3番目の「ひまわり」の花の数は12本で、弟テオへの手紙の中で「これを一番良いものにしたい」とゴッホ本人が書いている作品です。とても優しい印象を与える作品です。
4番目の「ひまわり」の花の数は15本で絵具を塗り重ねて立体感を出し、生命力に富んだ作品です。
ここまでの4つの「ひまわり」が描かれた背景は、ゴッホは南仏のアルルで画家仲間達と共同生活をしようと考え、間借りしていたアパートの中をゴッホの好きな明るく楽しいイメージのひまわりで飾ろうと考えていたからです。南仏アルルでゴッホが間借りしていたアパートの外壁は黄色く、部屋の中も黄色く花を咲かせたかったのかもしれません。この事から、ゴッホの素朴で優しい一面が感じられる事でしょう。
「黄色い家」
今回の内容は、あのフランス・オランダなどの主に西ヨーロッパで描画活動をされていた、油絵の巨匠とも言われているゴッホ(1853年~1890年)先生が、晩年前に描かれた「黄色い家」の作品に関しての記事になります。
このモデルである家自体は、あの後世の1940年代半ばの第二次世界大戦の戦火で破壊されて現存してはいませんが、その絵画にある通り、黄色い壁の建物物件だったとの事です(別の作品である1階部分にカフェを設けた、ゴーギャン<1848年~1903年>先生と共同生活をされていた物件とは別の建物)。
本当にこのように、母国である隣のオランダを出て以来、約30年近くもの引っ越し生活の果てに、たどり着いたところがこの家のあったフランス南部にあるアルル市になりますが、こうした絵画にする程、この建物物件にはゴッホ先生ご本人は、大変思い入れがあるようなところがあった事は間違いがありません。
やはり、引っ越し以来落ち着いた時期であるこの年の9月あたりに他の各種作品と共にこの絵画を描いていますので、ようやくこの時期に、彼本人は身辺の身近な様々な事象や物事、光景などを観察出来るような、時間的な余裕があった事が窺える感じがします。
自らの好きな黄色をこの絵画でももちろん、他の作品と同じように用いながら、油絵の画法をベースにして良く描いていますが、空の部分は少し暗めな感じでありつつも、全体的には明るさを感じさせる不思議な絵画の作品ですので、そうした面でも多くの方からの人気があります。