モンマルトルとゴッホの絵画人生

モンマルトルとゴッホの絵画人生

今回の記事のテーマである「モンマルトル」は、1887年の1月頃に、あの画家の巨匠ともされているゴッホ(1853年~1890年)さんが、母国オランダから弟さんを頼ってフランスのパリ市内へ移り住んで以来の、油絵作品の1枚になります。

この頃に住んでいたパリ市内をはじめ、フランス国内の主要諸都市においては、純色からなる微細な仕様からなる色点を敷き詰めながら表現をしていくといった画法を採る新印象派あるいは分割主義と呼ばれる流派の画家達が台頭をしてきている時期でもあって、そうした世相をやはりゴッホさんも感じていたりした事もあり、パリ市内郊外にあるモンマルトル丘から見上げた同市内の様々な様子や光景を描いて、それらの新しい画法を自分なりに体得をしようとしていた感が、この作品からも窺える感じがします。あの彼自身の一番の特徴でもある、黄色をベースにした配色がこの絵画では見られ、薄灰色の空間部分との配色のバランスの取れ具合が、やはりヒーリング的な癒しを与えてくれるような見た目での感覚を感じさせられたりするところがあります。

このような点でも中々な絵画としての評価も高く、ゴッホさん本人によるパリ市在住時代においての名作の1つでもあります。

この作品を描いている時期に、ピサロ・ロネ・ギヨマンその他の幾人かの絵画作品を購入したりもしていますので、この頃には間違いなくゴッホさん自身は、なるだけ本格的なその時代のニーズに合う作品を創作していきたいといった強い希望があった事は間違いありません。

注目されなかった時期~ゴッホの絵画人生

ゴッホの絵画というのは、当時の常識からすればずれている描き方が特徴で、そういった面から当時の人たちからはそこまで注目されなかった時期もありました。
それはゴッホが美術学校に通っていたときも同様で、ゴッホは自らの個性を発揮しながら絵を描くことにこだわりを持っており、その部分が実は学校側の人間に受け入れられなかったのです。

学校で絵画について教えている以上、その描き方の指導に従わないことでよく思われないというのは仕方ないことかもしれませんけど、これが原因でゴッホは学校で孤立し、結局辞めていくことになります。
しかし、ここで重要なのはゴッホは最終的に学校側の指導に従ったのではなく、自らの個性を発揮する作品を描くために学校を辞めたということです。

つまり、彼は折れなかったわけで、学校側の指導よりも自分の描き方にこだわりを持っており、そこが信念でもあったということになります。
学校で教える指導を忠実に守るとすれば、それは正攻法の描き方ということは言えるものの、同じような作品にしかならないという欠点もあるわけです。学校で教えるのはある程度マニュアルに沿った描き方になるので、その点ゴッホは学校ではなく独学で絵画について学んだため、独自の才能を発揮して個性豊かな作品を残すことができたのです。今日評価されている作品もそういったゴッホの個性が発揮されたがゆえのものでしょう。

ゴッホの作品を見ていると、他の作品にはない独特の個性が感じられて、より価値を感じられるのではないか?と思います。他の絵画とは違うようなものを家に飾りたいと考えているような人にとって、ゴッホの作品は特におすすめとなるでしょう。彼の生き方も含めて、他に画家にはない部分が表現された作品とも言えると思いますから。

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