日没の種まく人

日没の種まく人

あの油絵の巨匠と呼ばれているゴッホ(1853年~1890年)が、それまで住んでいたフランス国内にあるパリ市内から、南部地域にあるアルル市内へ、あのやはり巨匠の1人でもあるゴーギャン(1848年~1903年)と移住して、共同生活をし始めた年である1888年の6月に描いた作品の1枚である「日没の種まく人」の作品についての、記事内容になります。

この作品自体は、テーマの時間設定が夕方あるいは明け方か、何れかのものとしては明かにはされてはいません。

しかし、それでも日の入りあるいは日の出の何れではあっても、陽の暗さの印象とは裏腹に、黄色の配色を最大限に活用をした仕様になっていて、この配色のやり方自体が見た目の側である観覧者本人に対して、中々良い観覧上での癒しやヒーリングなどの心理的な効果、それらを利用した部屋内においてのインテリアとしての活用なども出来る描画風景の仕様になっていますので、こうした点で高い評価がある作品でもあります。

場所設定自体は、本人がゴーギャンと移住をしたアルル市の郊外にある田園地帯での農作業面の一場面を描いたものとなっていますが、本当に当時の同市郊外の風景のあり方がよく伝わる絵画作品ですので、こうした点でもその人気の高さが分かる感じがします。

特に詳細な解説などがなされたりしている文献や、ゴーギャンを含めて当時の絵画業界の関係者の方々によるコメントや記録などもありませんが、それでも本当に見事な油絵の絵画作品の1枚です。

石膏彫刻の女性トルソー

今回の記事では「石膏彫刻の女性トルソー」の絵画作品についての内容について触れています。

この作品は、あの油絵の巨匠であるゴッホさんが30代になり、母国オランダから隣のフランス国内の弟さんが居るパリ市内へ、1886年の2月移り住んだ際に、彼自身が描いた油絵作品の1つになります。

当時はこれまでオランダ国内で培った油絵と黄色の配色をベースにした自らの画法のフォームを鍛え上げるために、彼本人はパリ市内の画塾へ通っていましたが、その際に今回の作品を描いたような感じでした。

この作品自体はあの彼自身が良く用いる黄色のベース色を使用してはいませんが、その代わり、水色を上手くベースにした配色の上に、ダークグレーと被写体である石膏彫刻本体の白系の着色の配分がきちんとバランス良くしてあるような形になっていますので、この点でも中々な評価がされたりしている絵画でもあります。

やはり、その当時ゴッホさんが直接目の前で見た、石膏彫刻本体の光景をなるだけそのままの状態で描写をしながら体現していこうといった考えもあって、こうしたその時や場所の状況・状態に応じて、配色面での技術を身に着けていこうといった思惑で、こうした絵画の形でのデータの記録を残したような感じも窺えます。

事実、当時は他の熟生や講師の画家との意見の対立などもあって、こうした事情から自身の画法においての正当性を主張していく事が目的で、今回の絵画を描いたともされているエピソードもあります。

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