アルルの跳ね橋
西洋絵画の印象派の1人として知られているゴッホの絵画は、日本人には大変人気が高いです。ゴッホの魅力は繊細で研ぎ澄まされた感覚で描かれた独特な世界観だと思います。例えば有名な「夜のカフェテラス」の中の暗闇に浮かび上がるテラスとのコントラストは現実にはないような、でもそこにある灯りに惹かれていく現実的な心のよりどころのようなそのバランスをデフォルメされた曲線の中で保たれているところに安心感を感じます。多くの夜景を描いたゴッホですが、その多くは夜の空の実際には見ることの出来ない空気感が表現されています。自分がこの世のものでなくなるまで、決して終わることのない完璧には癒されない心なのかもしれません。また「ひまわり」は1点だけではなく数点が確認されています。どの絵も満開の花だけでなく花びらが落ちてしまった花が描かれています。花瓶に飾られたひまわりは、美しく健全な夏の花を表現しているのではありません。人の手によって飾られ、一番美しいとされる時を過ぎてしまっても夏はまだ続きます。ゴッホは絵の中の空気感を通じて、ただただその時の感情を表現していたのでしょうか。ただ美しいだけの絵画に感動はないのではないでしょうか。ゴッホが日本美術に大変興味を持っていたことは知られています。日本の浮世絵は写実的ではありませんが、だからこそ伝わるものがあると思います。日本美術の中にある日本文化をどんなイメージで感じ取っていたのか、彼の作品とゆっくりと向き合った時に自分に見えてくるものは何なのか、魂を込めた1枚1枚の中にあるゴッホの感動に語り掛けてみたくなります。
アルルの跳ね橋
今回の記事は、あの油絵画家でも有名なゴッホ(1853年~1890年)さんの作品である「赤い葡萄畑」に関しての内容になります。
1888年の11月に描いた、フランス南部地方のアルル市に、あの有名なゴーギャン(1848年~1903年)さんと共に移住した際の共同生活の傍ら描いた、ゴッホさん自身による油絵である絵画の1枚になります。
実はこの絵画自体が、唯一、生前の彼本人が描いた作品の中で、唯一売れた1枚でもありました。
この絵にある通り、当時のアルル市郊外で盛んであった葡萄栽培による、夕方の畑での作業の場を見掛けて、その様子を彼自身が描いた作品になります。
本当に数々の作品を油絵をベースに描いてきたゴッホさんでもありましたが、しかし描いた絵画の大半が中々売れず、その脚光を浴び始めたのは皮肉な事にも、この赤い葡萄畑の作品が売れて以来、彼本人の死後になってからになります。
しかしそれでも、彼自身による同作品を含めた絵画の多くは、世界中に居る画家の人々の心を掴み、そのような状態が現在までに至ります。
一見すると、よくあるような畑作の場での作業や労働の様子を描いたような絵画に見えたりしますが、これ自体が売られた事により、実に独特な油絵の技術をベースにした彼自身による作品の大半が世に知られるきっかけになり、あの描いた花魁画などが日本でも紹介をされたりして有名になるまでの、重要な橋渡しの役目を果たした絵画でもあります。
そうした点でも高い評価がされている1枚でもありますので、多くの方が一度鑑賞をしてみる価値は大いにあります。
ゴッホの「ひまわり」に見られる優しさとは
ゴッホの有名な「ひまわり」は複数存在する事をご存知でしょうか。ゴッホは生涯で11点のひまわりの作品を描いています。その11点の中で「花瓶に挿されたひまわりをモチーフとした油彩の絵画」は7点あります。これが有名なゴッホの「ひまわり」です。
ゴッホにとってひまわりは明るい南フランスの象徴だったと言われています。南フランスのアルルに滞在していた時によく描いていたことも由縁ですが、ゴッホの中でひまわりはユートピアの象徴であったと考えられています。
1番目に描いた「ひまわり」は緑の花瓶に挿さっていて、数は3本、背景は青く爽やかな印象を与えます。
2番目に描いた「ひまわり」の数は5本、背景は濃紺、色彩の対比を使って視覚効果を狙ったのではないかと推察されています。
3番目の「ひまわり」の花の数は12本で、弟テオへの手紙の中で「これを一番良いものにしたい」とゴッホ本人が書いている作品です。とても優しい印象を与える作品です。
4番目の「ひまわり」の花の数は15本で絵具を塗り重ねて立体感を出し、生命力に富んだ作品です。
ここまでの4つの「ひまわり」が描かれた背景は、ゴッホは南仏のアルルで画家仲間達と共同生活をしようと考え、間借りしていたアパートの中をゴッホの好きな明るく楽しいイメージのひまわりで飾ろうと考えていたからです。南仏アルルでゴッホが間借りしていたアパートの外壁は黄色く、部屋の中も黄色く花を咲かせたかったのかもしれません。この事から、ゴッホの素朴で優しい一面が感じられる事でしょう。
「黄色い家」
今回の内容は、あのフランス・オランダなどの主に西ヨーロッパで描画活動をされていた、油絵の巨匠とも言われているゴッホ(1853年~1890年)先生が、晩年前に描かれた「黄色い家」の作品に関しての記事になります。
このモデルである家自体は、あの後世の1940年代半ばの第二次世界大戦の戦火で破壊されて現存してはいませんが、その絵画にある通り、黄色い壁の建物物件だったとの事です(別の作品である1階部分にカフェを設けた、ゴーギャン<1848年~1903年>先生と共同生活をされていた物件とは別の建物)。
本当にこのように、母国である隣のオランダを出て以来、約30年近くもの引っ越し生活の果てに、たどり着いたところがこの家のあったフランス南部にあるアルル市になりますが、こうした絵画にする程、この建物物件にはゴッホ先生ご本人は、大変思い入れがあるようなところがあった事は間違いがありません。
やはり、引っ越し以来落ち着いた時期であるこの年の9月あたりに他の各種作品と共にこの絵画を描いていますので、ようやくこの時期に、彼本人は身辺の身近な様々な事象や物事、光景などを観察出来るような、時間的な余裕があった事が窺える感じがします。
自らの好きな黄色をこの絵画でももちろん、他の作品と同じように用いながら、油絵の画法をベースにして良く描いていますが、空の部分は少し暗めな感じでありつつも、全体的には明るさを感じさせる不思議な絵画の作品ですので、そうした面でも多くの方からの人気があります。