お説教くさい質問攻め

「今の自分ではない、別の何者かになりたい」と漠然と考えていてはダメ。なりたい自分を見つけないと変われない。そう書かれていることは珍しくない。「本当になりたい自分はなに?」「あなたはどう変わりたいの?」こう聞かれたら答えられず、そんな自分を変えたい。でも本当のなりたい自分って・・・と堂々巡りになれば、変えるのは難しいだろう。

いっそのこと、「今の自分と違えば、それは変わったってことだ」と開き直ればいいのだ。

思考パターンは「インパクト×回数」で形成される。なんでもいい、今までの自分とは違った行動を体験すれば、自分を変える小さな「きっかけ」を掴むことがきる。その繰り返しを楽しんで、また新しいことを始める。それが大事なことだ。

「企業体質」とは何か

人の体質として考えると、風邪をひきやすい人もいれば、ノドが弱い人もいる。企業も同じようなもので、自身ではコントロールできない「反応」を示してしまうのが「体質」であり、それこそが「企業体質」である。
人間も企業も年を重ねるごとに、いろいろな要素が絡んで体質改善が困難になってくる。日々の小さな積み重ねがないと、あっという間に体も企業も壊れてしまう。

検察による立件というキツイ「注射」。分社化やリストラといった「外科手術」。このような措置がされないよう、特に歴史のある企業は日々「体質改善」につとめるべきである。

「勘違いワークライフバランス」 ~「ツケ払い退社」する社員が急増中

いくらワークライフが大事だと言われても、やるべきことをやらずに定時に帰り、案件に間に合わないなんてことになったら大問題である。

やるべきことを「ツケ」にしてしまう習慣が身についてしまうと、まず第一に「時間内に終わらせる」と考えなくなり、どう工夫すべきだとか、誰に聞けばいいのかとか、解決に向けて「考える」考える習慣がなくなってしまう。
やるべき事をしっかりと時間内にやるという当たり前の感覚を忘れてはならない。

「他人が休んでいるときに努力する」は時代遅れか?

「日本人は働き過ぎ」と、よく言われているし、それはその通りだとは思う。休日が増えるのは自分自身とてもありがたいことだし、そうすべく取り組む企業もある。
ただ休みが増えた分、単純に働く時間は減る。減った労働時間の中で、今まで通りの生産性を保つ場合、こなす作業量をレベルアップさせなければならない。

そうなると、休日や定時後の「働いていない時間」を遊ぶだけではなく、自分自身のスキルアップに使う時間もどこかで必要になってくる。会社から離れた瞬間からの時間をどう使うか。自由な時間でどれだけ自己投資できるかという、メリハリをつける時間は、今後必要となるだろう。

「連休明け憂鬱」を乗り越えるため

連休明けに憂鬱な気分になるのは、おそらく誰もが経験したのことのある事だろう。

連休中に気にせずにいた時間の感覚を、会社で取り戻そうとすると、鈍りきった体や脳が余計に疲れる。
なので、連休の最後の日だけでもスケジュール通りに動いて、時間の感覚を先に取り戻せば、多少の
憂鬱気分からは脱却が可能だ。

電車の中やバスの中でも、多くの方が憂鬱な気分になっているだろう。周りの憂鬱な気分は自分や他人にも伝染する。
連休明けの初日は、思い切って早く出社してみてはいかがだろう。少なくとも、他人の憂鬱気分まで背負う必要はないのだ。

「働き方改革」ではなく「成果の出し方改革」

「働き方」はあくまでも、目的を達成するための手段である。手段を変えても目的に達成しないのならば、それは働き方が悪いからだ。なので、本当に改革すべきは「成果の出し方」である。
成果を出して業績が安定していないと、働き方以前の問題になるからだ。

目的をはっきりと出していれば、手段を選ばず達成しようとする。そこで初めて業務のムダが見えてきて、結果的に「働き方」が改革されていく。

大企業の「健康寿命」を伸ばす

人間が産まれ、成長し、やがて衰えがやってくるのと同じように、企業にも産まれたばかりの「導入期」、成長ステージの「成長期」、大きくなってきた「成熟期」がある。
成長期を過ぎた企業が何千人もの従業員を抱え、無茶が聞かなくなり、今までの無理がたたって体を壊し、そして最後は衰退期を迎えて・・・という話になりかねない。

無茶が効かなくなってきた場合、人間なら「今からでも運動だ」「食事に気を付けよう」「健康的な数値を目指そう」と目標を決めて「今日の体の調子はどうだろう」「今日のカロリー摂取量は高すぎたかな」と自らと向き合い、細かく注意し始める。
企業も同じように、「業務で何か問題はないか」、「今日のスケジュールはどうなっているか」と、自らの企業を振り返り、細かくチェックしていく。
そうすれば、人間も、企業も健康寿命が延びていく。

「組織改革」が先か「意識改革」が先か

よくある企業のスローガンとして「意識改革」があげられているが、スローガンで社員の意識が改革できるなら苦労はしない。現実的に機能するのは「意識改革」ではなく「組織改革」である。

組織改革と言われても、壮大な言葉過ぎて何から手を付ければいいのかわからなくなるが、この目的は「いったん崩れた組織を本来あるべき姿に甦生させること」である。全員に同じ目的を共有させ、お互いに協力する姿勢を作らせ、円滑なコミュニケーションを取らせる事だ。

その為には、まず組織のリーダーが率先して、「俺はやるぞ」と率先する事だ。最初はもちろん反発もあるが、言い続けていると、ついてくる人物も増えていく。組織の長となる人物が、周りに火をつけて組織を変えていく。

人生においても、社会にもいても、「脳へのインパクト×回数」でその後の行動意識が変わってくるのだ。

「困っていること」と「問題」を混同している

前に、悩むことと考える事は似て非なるものだと紹介する記事があったが、今回は「問題」そのものを正しく把握できていなかったら、という内容である。

問題を問題として正しく捉えていなければ、考えて解決策を出したとしても、抱えている問題点が改善するとは限らなくなる。結果として、問題を解決するのにかなりの遠回りをしてしまう。

「困っていること」や「目につくこと」だけに捕らわれて、その解決策を考えて、問題そのものから視点が外れてしまい、問題が解決しない事に悩む。
そうならないためにも、今起こっているのは何が問題なのかを、しっかりと把握しなければならない。

組織改革とは、組織の「考える改革」である

「組織改革」と言われても業種によってやり方はすべて変わってくるし、解決策も独自の方法な場合もある。

ここでは、組織に所属する一人一人が「考える」ことが組織改革になるという。

メンバー全員に「小さな自主性」が芽生えるだけで、組織はぐんと変わるが、逆に「悩む」組織だと伸びない。

「考える」ことと「悩む」ことは、問題について解決しようとする際に脳を働かせる、という意味では同じ。しかし「悩む」の場合、(わからない、どうすればいいんだ)という状態の事を指す。
そして、「考える」は、正しい解答を見つけるべく、仮説や今までの記憶を元に脳を働かせる状態の事を指す。と分けていた。

確かに悩んで解決したことは全くといっていいほどないが、どうすればいいかではなく「きっとこうなるはずだ」と考えて動いた場合は解決へ向かったことは多いような気はする。

組織全員が考えて動けるようになれば、何においての改革に関しても、実現することはたやすくなってくる。